広島高等裁判所岡山支部 昭和53年(く)1号 決定 1978年1月10日
少年 T・Y(昭三三・一二・一四生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件申立の要旨は、本件非行事実は少年が岡山から水島の叔父の家に帰るのに所持金がなく歩き疲れたため、駐車中の自動車を盗み、これを無免許で運転したという事案で、被害は完全に回復されているのに、少年を特別少年院に送致すべきものとした原決定は余りに苛酷で、折角反省して更生をめざしている少年からその機会を奪うものである、というのである。
そこで記録を精査して検討してみると、少年は幼くして母に生き別れ、父もその後事故死し、養護施設で二年三ヶ月を送り、小学校卒業後ようやく叔父に引取られるという薄幸な境遇に生い立ち、知能も平均水準より劣り、その身の上には同情すべき点が多いが、中学三年生当時からオートバイ、現金等の窃盗をひんぱんに重ね、中学卒業と同時に保護観察処分に付せられ、その後も定職につかず、依然同様の犯行をくり返した末、家出して強盗の予備をなすまでに至り、昭和四九年一〇月初等少年院に送致され、五一年一月仮退院後鉄工所に就職したが、わずか二日勤めに出たばかりで勝手にやめ、又も家出して窃盗をくり返し、同年三月中等少年院に送致され、五二年一一月一七日仮退院を許されて後、三週間を経ないうちに本件犯行に及んだもので、少年の主観においては本件の自動車窃取一件程度は深くとがめられるほどの事ではないと、きわめて浅薄に考えているふしがうかがわれ、従前の相当長期間にわたる収容教育にもかかわらず、社会規範に対する適応性が未だ甚しく欠けているといわざるを得ない。
右のような少年の経歴に照らして見ると、本件犯行は格別の実害を生じるに至らなかつたとはいえ、要保護性の徴憑としては深刻な意味を持つものであり、原審が少年を特別少年院に送致することとしたのは、少年の将来のためやむを得ない措置というべく、これをいちじるしく不当な処分ということはできない。
結局本件抗告は理由がないから少年法三三条一項、少年審判規則五〇条によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 久安弘一 裁判官 大野孝英 山田真也)
参考 抗告申立書
抗告の趣旨
私は、今回特別少年院送致の決定を受けましたが、処分がおもすぎると思いますので抗告を申し立てます。
まず私は五十二年十一月十七日に岡山少年院を仮退院させてもらつてから私は、まず仕事の事で保護司さんのところに行つて相談しました。
その時は、今までの私は仕事に行つても、すぐにやめていたので、今度も以前みたいにならない為と思つていてくれたからこそ、保護司さんは自分の好きな働き口が出来るまでゆつくり考えなさいと言つてくれました。
そして、二回目に保護司さんのところに行き、新聞の広告で“スナック”の「○○○○○○」と言うところにバーテン見習募集と言うのがあるのでこれを受けてみようかと、相談しましたら、保護司さんは職場があんまり、雰囲気の良くないところなので、もう一度どこかよく考えて下さいと言つた。
家では、叔父さんの知つている人で、小さいが鉄工所をやつているので、そこに私を働かせようと思つていたのですが、ちようどそこの社長がおらなかつたので、もう少しもう少しと待つている時に私は遊びに行つてくると言つて家を出たのであります。
今度家に帰えろうと思つて、岡山にもどつて来たのですが、もうその時には、金が四十円くらいしかなくてどうしようもなく、駅から国道二号線ぞいに歩いて、翌日にははらもへつてきたし、もう歩くのもたいくつになりました。
その時、私は強盗でもしてやろうかと言つた気持になりました。
でもこのような事をしたら少年院に行くと思つて考えなおし、今度は道路にクラウンがキーを付けたまま止めてあつたので、一目見ていつたん盗もうか、それともあきらめようかと思いつつその辺をウロウロして、自分もつかれたし、はらもへつてきたので、この自動車の持ち主には悪いと思いつつ、とうとう自動車を一台盗んでしまつたのです。
そして今回の事件で、警察で本当の事を全部話したし、又、鑑別所に居る時も、自分自身よく反省したのです。
そしたら、審判の時に、裁判官は以前とくらべて多少はよくなつているが、以前も何回となく、自動車とか、オートバイを盗んで遊びまわつていたおり、これまでと同じだと言われました。
しかし、今回の事件は、以前とはなんぼ同じだと言つても、歩いて帰るのがあまりにも遠いかつたし、金もなかつたから、その為に自動車を盗んでしまうようになつたのです。
そして私は、鑑別所に入つている間にこのような事を考えました。
今回の件について、試験観察くらいで帰れたら、今度は保護司さんが言つたように、自分の好きな、そして手に職がつくような、調理師見習か、整備工員でもいいから、今までの分まで取りもどせるように、そして自分の明日の為にも、更生への為にも働く事が大切だと思つていました。
そしたら、審判の時に裁判官が、一つぽう的に話しをして、自分が話しをしたと言つたことは一つもありませんでした。
自分は、この裁判官は、私の将来の事など一つもわかつてくれないのだと思う、せつかく私が今一度、チャンスをあたえてくれたならば、私は必ず、そして今度こそ、私のこれから先の将来の為にも、更生への為にも真面目に働いて、自分が一番おせわになつた人で、もうあんまり先が長くない、祖母さんの為にも、私が立派な社会人として生活して親孝行しようと思つていました。
でもこの裁判官は、私には一度もチャンスもあたえてくれない、せつかくの親孝行も出来なくなつてしまつた。
反対に、親不孝にしているみたいな感じで、又、一年も少年院に私が居てもなんの意味がない、反対に、私はなぜ審判の時に今一度チャンスをあたえてくれなかつたのかと思い怨むようになるのであります。
私は、今度の今度は、絶対にいつわりのない事です、少年院に一年おつても、なんにもなりません。
しかし、社会で一年くらい働いていたら、必ず五十万ぐらいはたまります。
もしかしたらもつと多いかもしれません。
話しは変り、私が犯した罪と言つたものは、自動車一台、しかも理由があつて盗んだ、それに自動車にはキズも付けていないし、車の中の物品もさわつたりしていないし、もちろん自動車はぶじに、待ち主に帰されたですが、あまりにも今回の件、道路交通法違反、窃盗の処分で特別少年院送致というのは重もすぎるように思いました。